チェックアウトしてリングさんと合流。 今日は日曜だからバンコク名物の大渋滞も少し控えめ。
まずは、暁の寺、ワット・アルン。
水上バスでチャオプラヤー川を渡る。
午前の日光を浴びた暁の寺は色鮮やかで、アンコール遺跡になれていた目には強烈だ。
自由時間をもらい、売店のふとっちょおかまちゃんが気になりながらもちゃんと見物。
涅槃仏のあるワット・ポーでは靴を脱ぐ。 暇そうな警備員さんに「アクシュ、アクシュ」とせがまれる。
あ、はいはい…サワディカー。
中に入ると石の床がひんやりとして気持ちいい。
仏様もよほど気持ちがいいんだろう、お父さんがテレビを見る格好でくつろいでらっしゃる。
足の裏に回る。 なんてお美しい足の裏! 細かい貝の細工に見とれる。
続いて、王宮とエメラルド寺院。
なんと、今日はチャクリー記念日、バンコクに遷都した日らしい。
午後はこの王宮に国王が来て行事を行うので、お花見のごとくシートで場所している人が目立つ。
しかし、王宮の職員かその家族だけだそうで、一般客は午後は立ち入り禁止になる。
道には国王のための赤いじゅうたんが敷かれ、踏んではいけないのでみんな大股で飛び越える。
こんなにも信仰を集める王室が観光地にもなっていて、とても身近で開放されていることに驚いた。
エメラルド寺院の壁全体にはクリスタルが埋め込まれている。
昔はこれが全部宝石だったというからまた驚き。
午前の観光が終わると、次は免税店を3軒まわる予定。
買わないので行かないことにはできないですか?と頼むが、もちろんツアーだから無理。
買わないですよー、と念を押すと、「では15分だけ見て戻ってきてください」と折衷案。
えらく丁寧で不自然な日本語を操るおばさん店員にいきなり宝石を勧められる。 興味なし。
民芸品フロアーは見てる分には飽きないのでここで時間をつぶすことに。
木彫りの蛙(背中がぼこぼこしててくわえてる棒で鳴らすやつ)を手に取った私を見逃さない店員。
これ、日本にもアルヨ。
2軒目が終わったところでお昼。 ソル・ツイン・タワーのバイキング。 うどんやすしもある。
食事の後、ワゴンを待つ間、リングさんとおしゃべり。
もうシーズンオフなので2週間の正月休みを取って帰省するらしい。
実家は北の方で涼しいし、タイ正月名物の水かけ祭りが楽しみ、と笑顔。
チェンマイやスコータイもいいですよー、と勧められた。 興味あり。
そして3軒目。 店員を背後に連れてぐるぐる当てもなくさまよう。
カフェコーナーにリングさんを発見。 すがるような思いで近づく。
これからアユタヤ観光。 車で一時間くらい。
カンボジアの看板は英語やハングルの表記を多く見かけたが、タイの看板はとにかくタイ語。
タイ文字独特の形の不思議さが気になる。
バンパイン宮殿に着いた。 歴代の国王たちの避暑地。 確かにバンコクより少し涼しい。
整えられた芝生やいくつもの建物を見て歩く。
中華風の建物では人の出入りが激しく、いろんなものが運び出されている。
靴を脱いで中に入ると豪華な内部装飾よりも、短パンに迷彩のTシャツを着た男子高校生のような集団にびっくり。
ざっと4、50人。 私が横を通るとカンフーの真似をしておどけて笑ってみせた。
リングさん曰く、チャクリー記念日に備えての大掃除だそうだ。
外に出てタイの兵役について話を聞いた。
なんとタイは兵役につくかどうかをくじで決めるらしい。 確率は大体半分。
ふとテレビで見たくじ引きの様子を思い出した。
空クジを引いて笑顔で喜ぶ彼の横で、当たりを引いてしまったひとりが失神。
一番訓練がきついという海軍への入隊を見事引き当てたそうだ。 ご愁傷様。
少し雨が降ってきた。 次は日本人街跡。
小さな資料館は半分以上が土産物屋で、外には日本語でカキ氷の文字。
小さな子猫がミーミー鳴いてたので近寄ると母猫の周りにたくさんの子猫。 にゃーかわゆい。
他のグループを引率してるガイドの兄さんが「オヤコ」と笑顔で話しかけてきた。
ワット・ロカスタヤを見たあと、念願のゾウ! わくわく♪
鮮やかにペイントされたぞうたち。 背中の上の天蓋付の椅子に座って発進。
予想以上に左右に揺れる。 しかも高いー。
ゾウ使いさんの背中にカタカナで彼の名前。
「イクツ?」と聞いてくるので「にじゅう」と答えると、「オナジ、オナジ!」と笑顔。
同い年とわかると急にカジュアルになるゾウ使い。 日本語でぞうさんを熱唱。
木から花をとってプレゼントしてくれた。 コプクンカー。
近くの別のゾウ使いにカメラを渡して記念撮影。
椅子をつめて、という合図。 つめると横に座ってくる始末。 きょとん。
ゾウから降りて去ろうとすると、うしろから「アイシテルヨー!」。 あいあい。
次はワット・プラ・シー・サンペット。
遺跡の中の仏像はそれがもう仏像であるとわからないほど破壊されていた。
袈裟やお供え物でかろうじて仏像であったことがわかる。
次に行ったワット・プラ・マハタートも同様。
このような破壊行為はむかしビルマ軍によって行われたという。
仏像の頭が長年の放置の間にガジュマルの木に飲み込まれている。
ほとんど胴体しか残っていない仏像は、ミロのビーナスの腕のように想像を掻き立てる。
傾きかけた日が仏像を赤く照らすと、体温が感じられる。
今日の怒涛の寺院めぐりはこれで終了。
近くのホテルで中華料理の夕食を済ませ、空港に向かう途中に遺跡のライトアップを見て回る。
暗闇の中でバドミントンをする子供たちにびっくり。
そんなに期待してなかったライトアップだったが、なかなか素敵だった。
ワゴンで目が覚めるともう空港。
カウンターがまだ開かないのでベンチでリングさんと待つ。
彼女の携帯が鳴って、「代わってください」とのこと。
おそるおそる電話を変わるとJTAの日本人スタッフの人で、旅行はどうだったかとかいろいろ質問された。
楽しかったです、お世話になりました、と伝えて電話を返した。
二つ持ってるからと、リングさんがマスクを分けてくれた。
時間になり航空券を受け取ってリングさんとお別れ。 コプクンカー!
どうしようもないほど疲れていたが、民芸品店で足がとまる。
バンコク地獄の免税店めぐりで立ち寄った一軒で見かけた木彫りのかえるがいた。
空港にも売ってんじゃん、とほくそ笑んで搭乗口へ。
0時も近くなって搭乗時間。
隣の2席は空席のはずなのに、どこからか現れたユダヤ帽子のおじさん。
体臭とシトラス系のコロンがきついんですけどー。
「たそがれ清兵衛」にチャンネルを合わせるが、音が小さくて聞こえない。
なんで「たそがれ」なのか分かると、チャンネルを飛行状況を伝えるチャンネルに変えて熟睡。
ふと目が覚めて窓の外を見ると、北斗七星が大きく輝いてた。
眼下には薄紫の雲がうすく広がっている。
夢うつつでしばらく眺めてた。
しばらくしてまた目を覚ますと、もう明るくなり始めていた。
後ろに闇を引きずって刻々と日本に近づいていた。
その後の話 :
成田から戻るバスの中、頭の中は「次どこ行こう」。
そして、特技や趣味がこれといってなかった私は、あの不思議なタイ語でも習ってみようかと思った。
すぐにタイ語学校を探し、5月から一年間通って、そして中途半端なタイ語を身につけましたとさ。
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